母の日
母の日です
先日ママの誕生日パーティーやったよ
皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは└( ̄▽ ̄*)♪
つい先日ママの誕生日だったのですが、もう母の日がやって参りました!
毎年思うのですが、母の日は誕生日の半年後とかにずらした方が良いと思うみじんこです。だって間違いなく、母の日に誕生日のお母様も毎年いらっしゃるわけじゃないですか、そうすると、誕生日と母の日を一緒にしちゃおうかっていう方が多くなると思うのです。日にちがずれていれば、2回特別扱いして貰えるのに非常に残念ですね。(父の日もまたしかり)
うちでは、まとめてやろうものなら『じゃあ2倍何してくれるの!』っていう感じなのであまり変わりませんが。。。
でも、こう期間が短いと、『う~ん、母の日は何をしてくれようか?』と悩むわけです。ママはみじんこの母ではないのに子供と共にいっぱい悩むわけなのです。
よし、知らなかったことにしよう!
というのも昨年までちゃんとパーティーしていたし、スーパーやコンビニでも大々的に取り上げているので通用するはずもなく。
考えても何も浮かばないので、子供と共に悩める旅をすることにします。スーパーまで。
(;一_一)そもそも母の日って何なんだ?と首をかしげながら。
母の日について
母の日はいつ?どんな日?
母の日といえば毎年5月の第2日曜日ですね。母に感謝し、そしてカーネーションをプレゼントするしきたりです。そこで気になるのが、なぜ?どうして?いつから?と、毎年恒例なのに意外と知らなかったりします。
そこで、今日は母の日について学んでいきたいと思います!(思いませんって言わないで)
母の日の起源(由来)
様々な国に母の日は存在しており、色々な由来がありますが、一番古いものでは古代ローマ時代、神々の母と呼ばれるリーアに感謝をする春のお祭りであるとか、17世紀のイギリスの復活祭(イースター)の40日前を『マザーズ・サンデー』として出稼ぎ労働者を母の元へ里帰りさせる風習があったとか、大昔から今と変わらない母へ感謝をする文化が各地にあったようです。
そして、今の日本の母の日の原型は、アメリカの1900年頃の出来事が発端になっているとのこと。
アンナ・ジャービスという女性の母が1905年に亡くなりました。この母の死を切っ掛けに「母が生きているにうちに感謝の気持ちを伝えよう」と働きかけたのが始まりです。
この働きかけがアメリカ全土へと広がり、当時の大統領であったウィルソンの元にも届いたのです。ウィルソン大統領は、1914年に「5月の第2日曜を母の日」として制定し、国民の祝日にしたのです。
ポイントは、アンナの母親アン・ジャービスさんです。
どんな人だったのでしょうか?
アン・ジャービスは11人兄弟でしたが、当時住んでいたウエストバージニア州は医療水準が低く、大人まで生きていたのはたったの4人だけでした。やがて、アン・ジャービスは牧師と結婚しましたが夫を早くに亡くし、また、戦争や病気で8人の子供を失ってしまいます。しかし、残った2人の娘を女手一人で育てながら様々な社会活動を行っていたのです。その背景は、やはり自分育った環境が大きかったことでしょう。成人したアンは地域の医療環境を改善するためボランティア団体を立ち上げました。
その団体が『Mothers Day Work Club』。1858年に結成し、医療補助活動などを中心として病気や貧しい人のための募金活動や食品検査、公衆衛生活動等を行いました。そして、ひときわ注目を集めたのが『南北戦争』での出来事。
中立を宣言して、敵味方関係なく両方の兵士を献身的に看病したり、戦争を平和的に解決できないか考え『Mother’s Friendsship Day』というイベントを企画します。これは、『南北双方の兵士や地域の人々を招きお互いを認め戦争なんかやめようYOO!』という狙いでした。このイベントが大成功したことにより、アメリカ国内で大きく取り上げられ注目されるようになったのです。
女性の地位が低かった当時のアメリカで、この活動はとても大変なことで社会の改革にも貢献したのです。
また、日曜学校の牧師を26年間務めるなど地域にも貢献していたので、その娘のアンナ・ジャービスが注目されていたからなのですね。
(・∀・)親の七光りかっ?
そしてアンナ・ジャービスは何をしたかというと、自分を一生懸命育ててくれた母の為に、追悼会を1908年5月10(当時の5月の第2日曜日)に行いました。その時、アンナ・ジャービスはウエストバージニア州のグラフトンの教会に、生前母が大好きだった『白いカーネーション』を捧げました。そして、その白いカーネーションは参加者に一輪ずつ渡されたそうです。
このカーネーションにはどのような思いがあったのでしょうか?
1つは、女手1つで自分達を育ててくれた母への感謝の気持ちが込められていました。そしてもう1つが、母親たちの社会活動を記念することでした。
「全て謎は解けた、じっちゃんの名にかけて!」
といったところでしょうか?
日本では?
明治時代の末頃に初めて「母の日」のイベントが行われたとされています。1915年(大正4年)になると青山学院教授のアレキサンダー女史によって紹介され、キリスト教会や日曜学校でお祝いの行事として少しづつ広がりました。そして、1931年(昭和6年)に、大日本連合婦人会の結成により、皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日が『母の日』となりました。
この時点ではまだ、5月の第2日曜日ではないのです。
1937年(昭和12年)に、お菓子で有名な森永製菓と諸団体が母の日をアピールすべく、「第1回 森永・母の日大会」が開催されました。これが、メディアに大きく取り上げられて母の日が全国的に広がっていき定着するようになったのです。そして、1947年(昭和22年)にアメリカにならって、今までの3月6日から5月の第2日曜日に変更されました。
以上、もし森永製菓がなかったら、日本では母の日が定着していなかったかもしれないというビッグニュースをお届け致しました。
結局母の日、何しよう?
ということで、母の日に詳しくなったものの肝心な今日何する?といった課題は全く進みません(ToT)
あっという間にスーパーに着いたら、中をグルグルと徘徊してみます。どうしようかなぁ。。。日頃の恨み感謝を伝えたいのに。
スーパーに陳列されたものをぐるっと見ると、子供達がママにサンドイッチを作りたいと言うではありませんか☆でかした、チビ助たち。
さっそくハムと卵とツナとレタスとキュウリの収集が始まりました。そして、フルーツを見つけた一番下の子。
「これ食べたい」
(*´з`)いいよぉ、じゃあフルーツの盛り合わせにしよう!と2品目決定。さらに「ママケーキ好きなの」とのこと。。。
・・・。
(*´з`)いいよぉ。ということで、ミルクレープとモンブラン、チーズケーキにショートケーキを2つづつカゴに詰め込みました。
ここで冷静になって振り返ると、主食とスイーツのみしかないじゃありませんか。
パパ「おかず無くない?」
子供達「もう、選ぶの疲れたからお肉とお刺身にしよう」
ということで無事?メニューが決定しました。
料理開始!
家に帰ると大忙しです。やっぱりお風呂を先に済ませてパーティーの仕込みに入ります。今日もママが仕事から帰ってくるのは17:30の予定なので残り1時間ちょっとしかありません。ここでは、パパの的確な指示が必要となります。
パパ「サンドイッチを作るのは、のび太とスネ夫としずかちゃん、フルーツの盛り合わせを作るのはジャイアント、ジャイ子とできすぎ君ね」
子供達の素直な返事が返ってきます。
子供達「えーコッチガイイしぃ、あっちはスネ夫がやってよぉ」
(´・ω・`)うんやっぱりムリ
パパ「検討を祈る・・・」
そうこうしているうちに勝手に担当が決まったようです。
↓サンドイッチ作り
↓フルーツの盛り合わせ
保育園組も包丁を使って、バナナやキュウリを切ってくれました☆
↓完成でーす
今日のメニュー
サンドイッチ
フルーツの盛り合わせ
ケーキ
焼き鳥
ポテト
お刺身
胸肉のチーズ乗せ
カニカマとサラダハムのサラダ
ニンジンシチュー
やっぱりカーネーション
子供たちのお小遣いを出し合って、大きな鉢のカーネーションをプレゼントしてくれました。ママの好きな紫色です。
ちなみに色にも意味があるので少し注意が必要かもしれません。無難なのは赤、ピンク、紫です。
- 赤・・・・・「情熱」「愛情」
- 白・・・・・「尊敬」「純潔の愛」(亡くなった母のシンボルなので注意)
- ピンク・・ 「感謝」「暖かい心」
- 黄色・・・ 「友情」「美」「嫉妬」
- 紫・・・・・「誇り」「気品」
↓4番目の子のお手紙です
ママへ、いつもえいようもかんがえたり、しょっぱいかたしかめたりしておいしいごはんを作ってくれるので、大きくなることができました。せんたくもしてくれるから、すきなふくがもどってきます。ママありがとう。
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カテゴリー: イベント行事
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